私の住まいは、国宝の金印出土で有名な「志賀島」の近所です。
 休日はウォーキングを兼ねて志賀島を散策、1周約10?の周回湾岸道路や、島内の山を約2?3時間かけて巡っています。
「志賀島」は金印公園の他に、元寇の時、高野山の僧侶が護摩を焚いて敵が退散するように祈った火焔塚や、蒙古兵の供養のために建てられた蒙古塚、海の守護神として万葉集にも詠まれている志賀海(しかうみ)神社などの史跡に富んでいます。

 万葉集【「ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀の皇神」(航海の難所である鐘の岬を過ぎたとしても、私は海路の無事をお願いしたこの志賀の神様を忘れません)】

 志賀海神社では、1月に無形文化財の「歩射祭」や10月には「国土祭」で狭い参道を馬が駆けて弓を射る「流鏑馬」などの神事もあります。
      流鏑馬

 また、島の最高点(168.9m)にある潮見展望台からの眺めは、博多湾を一望でき素晴らしい景勝地です。
潮見展望台からの眺め

 自然が一杯ですので、目や耳を楽しませてくれることが沢山あります。
 小鳥のさえずり、特に鶯(ウグイス)の鳴き声をバックミュージックに歩けば足どりも軽くなります。「チョット来い」の特徴ある鳴き声の小綬鶏(コジュケイ)はなかなか姿を見せない鳥ですが、早朝に子連れで餌を探しに現れる可愛い光景を見ることもあります。
 最近、以前は住んでいなかった猪が居り、九大移設で住み辛くなった糸島方面から、島伝いに海を泳いで来たとの噂ですが、かなりの頭数がいるようで島内のいたる所で足跡や土を掘り返した痕跡が見られます。
 
 春先は、収穫を兼ねた楽しみのツクシやワラビ摘み、海では打ち上げられたワカメ取りや潮干狩り、磯遊びなどもあります。
 偶然ですが、6月下旬の大潮の時にクサフグの産卵に出会ったこともあります。大量のクサフグが波打ち際の岩の所に集まり、産卵で海面が真っ白になり、神秘的で不思議な光景でした。

 1周回れば当然360度、早朝には東の空から清々しい日の出、夕方には西の水平線に揺らぎながらゆく見事な落陽を見ることができます。
魅力を挙げたらきりがありません。皆様も一度、ゆっくり「志賀島」を巡られることをお勧めします。

散策中に島内の掲示板に「共同募金へのご協力」のポスターが貼付してあるのを見ました。
 ご協力ありがとうございました。


担当:共同募金会福岡市支会 Y
2011.02.25 Fri l 共同募金会 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ファミリー・サポート・センター アドバイザーのSです。
この時期のファミサポの大仕事は会員さんの継続意思確認作業というものです。5000人を越える会員の中には「子どもが大きくなったから援助は必要ないわ。」という方、「両親の介護をしないといけなくなったので、サポート出来ません。」という方、はたまた「福岡市外に転居するので、ファミサポ退会します。」という方など様々なので、この時期一斉に、次年度に向けた登録継続の希望をおたずねするものです。一緒に広報紙『子育て応援プレス』や、支部ごとのミニ版プレスなども同封します。
3月11日までに返信して頂いたあとは、各支部のアドバイザーがパソコンに張り付いて内容の変更を入力します。
これが結構大変!会員総数の確定を3月末までに終了させないといけないし、変更のある情報は正確にパソコンに打ち込まないといけないので。これをみている会員さんがおられましたら(いないか?やはり)早めの提出をよろしくお願いします!!


さて個人的なことで申し訳ありませんが、私は実は長崎県雲仙市の出身です。
「市」といえば聞こえは良いのですが、はっきりいって島原半島の西側、小浜温泉の少し南でかなりの田舎なんです。
かの雲仙普賢岳噴火の際は島原深江地区とは反対側なので、からくも難を逃れましたが、洗濯物はかなりの期間戸外には干せなかったらしいです。(実家の両親より)
いまの宮崎県新燃岳の噴火には火砕流など起きないといいが・・と気をもんでいます。肺まで届く火傷に苦しみながら亡くなった消防団の方の話など漏れ聞いていますので。
又地域の行政サイドの苦労も大変です。普賢岳災害時の島原市長鐘ヶ江氏は里の父の友人ですが、寝るときも防災服を脱がれなかったそうです。
人智を凌ぐ自然の猛威が、一日も早く収束することを祈るばかりです。

 ついでに、更に個人的なマイブームで紙面を頂戴いたしますが・・・某校区の人権尊重委員会に属していて、昨年末に研修で島原半島口の津の歴史資料館にいきました。『島原の子守歌』にこめられた“からゆきさん”の検証が目的です。
私は、恥ずかしながらこの歌を50年ほど前(あ、歳がばれる!)町内の盆踊り大会でお人形を背負わされて歌った経験があります。多くの子守歌が作者未詳な中で、この歌は作詞・作曲が明確なことで他とは一線を画しています。
作は『まぼろしの邪馬台国』で有名な宮崎康平氏です。
氏は島原半島随一の土建業宮崎組の次男としてうまれ、早稲田大学を卒業して作家を志すも跡取りの長男さんの病死でやむなく家業を継ぎ、島原鉄道の延伸や郷土史の研究に尽力されました。
ところがマルチな活動のあまり過労で失明され、家業は終戦と共に破綻、おまけに当時の奥さんも出奔(もっともな話ではありますが)、残された乳飲み子を抱いて困り果てていたところに、雲仙温泉の湯本旅館(現在は湯本ホテル)の館主が援助の手を差し伸べます。湯治をかねて宿を無料で提供し、親子の面倒をみられたとか。
この時に乳飲み子をあやしつつ作られたのが『島原の子守歌』で、昭和28年頃のことらしい、ズバリ私が産まれた年です!(あ?更に歳が!)
この歌の内容は、島原に帰郷した当時80歳を越える実際のからゆきさんから聞き取り調査をしたもので、その凄惨な渡航の様子や、島原・天草地方の貧しさが歌い込まれています。興味のある方は私まで。実際の歌付で解説致します。(ん?歌わんでもいい?そうでしょうね・・)

蛇足ですが、氏と夫唱婦随で『まぼろしの邪馬台国』を著した和子さんは氏の後添えです。映画では吉永小百合さんが好演されていましたね。

ちなみに更に蛇足ですが、さだまさしさんの父上は宮崎氏と友人同士で、さださんのデビューには宮崎氏のコネがあったとか。
また『関白宣言』は、この宮崎康平・和子ご夫妻がモデルだそうです。
“からゆきさん”に興味がある方は不知火書房から『からゆきさん物語』が出版されています。
わずか100年あまり前にあっていた、人身売買の悲惨さに息を呑むばかりです。

担当:福岡ファミリー・サポート・センター S
2011.02.04 Fri l ファミリー・サポート・センター l コメント (0) トラックバック (0) l top
朝刊に目をやると、「2歳の子どもをせっかん」「子どもに数日間食事を与えず放置」といった見出しが・・・。
近年、子ども虐待のニュースがテレビや新聞でよく流れます。平成20年度の子ども虐待による死亡事例数は全国で67人(厚生労働省)。この陰には、相当な数の虐待が隠れているはずです。

1月20日、子ども虐待防止講演会「子どもを虐待から守る地域づくり」?子どもの笑顔を取り戻すためにできることは??を、ふくふくプラザで開催し、200人もの市民の方に、ご参加いただきました!

 第1部『子どもを虐待から守るためにできること』では、福岡市こども総合相談センター(愛称「えがお館」)所長で精神科医でもある 藤林武史さんに、子ども虐待の現状などをお話いただきました。
福岡市の現状とともに、こども総合相談センターに寄せられる日々の相談からは、子ども虐待がニュースの中の遠い出来事ではなく、私たちの周りでも起こっている身近なことなのだと実感させられました。
「完璧な親なんていない」という言葉に、救われた方も多いのではないでしょうか。

第2部『子どもを虐待から守る地域や学校のネットワーク』では、福岡市教育委員会スクールソーシャルワーカーの 梶谷優子さんに、日々の業務や、地域との連携についての事例を紹介していただきました。
スクールソーシャルワーカーは、まだ耳慣れない職業ですが、「すべては子ども達のために-最善の利益-」を合言葉に、その家族を支援することで子どもがのびのびと学校生活を送られるように、学校と地域と家族の間をつなぐため、奮闘しているそうです。
    ブログ1        ブログ2

講演後は、会場から多くの質問が寄せられ、参加者の関心の高さが伺えました。

アンケートには、次のような声が寄せられました。
・虐待が何故起こるかがよく分かりました。自分も地域とのつながりが薄いと反省しています。地域力の大切さがよく分かりました。実家と思ってといわれる「えがお館」はありがたいと思いました。(60代・男)
・「えがお館」があるんだよということをはじめて知りました。もっとたくさんの方にPRしていく方法を考えられればいいなあと思いました。(50代・女)
・虐待は決して親のせいだけではなく、地域や周りの働きかけで減っていくので、周りの働きかけは大切だと思いました。(30代・女)
・仕事柄、家庭に入ることが多いが、なかなかこのような問題に関心を持つ機会がありませんでした。同じような仕事仲間と連携を持つことができるのでは・・・と。(30代・男)

ご参加のみなさん、ありがとうございました。

担当:総務課図書・研修係 K

2011.02.02 Wed l 総務課 l コメント (0) トラックバック (0) l top