ファミリー・サポート・センター アドバイザーのSです。
この時期のファミサポの大仕事は会員さんの継続意思確認作業というものです。5000人を越える会員の中には「子どもが大きくなったから援助は必要ないわ。」という方、「両親の介護をしないといけなくなったので、サポート出来ません。」という方、はたまた「福岡市外に転居するので、ファミサポ退会します。」という方など様々なので、この時期一斉に、次年度に向けた登録継続の希望をおたずねするものです。一緒に広報紙『子育て応援プレス』や、支部ごとのミニ版プレスなども同封します。
3月11日までに返信して頂いたあとは、各支部のアドバイザーがパソコンに張り付いて内容の変更を入力します。
これが結構大変!会員総数の確定を3月末までに終了させないといけないし、変更のある情報は正確にパソコンに打ち込まないといけないので。これをみている会員さんがおられましたら(いないか?やはり)早めの提出をよろしくお願いします!!


さて個人的なことで申し訳ありませんが、私は実は長崎県雲仙市の出身です。
「市」といえば聞こえは良いのですが、はっきりいって島原半島の西側、小浜温泉の少し南でかなりの田舎なんです。
かの雲仙普賢岳噴火の際は島原深江地区とは反対側なので、からくも難を逃れましたが、洗濯物はかなりの期間戸外には干せなかったらしいです。(実家の両親より)
いまの宮崎県新燃岳の噴火には火砕流など起きないといいが・・と気をもんでいます。肺まで届く火傷に苦しみながら亡くなった消防団の方の話など漏れ聞いていますので。
又地域の行政サイドの苦労も大変です。普賢岳災害時の島原市長鐘ヶ江氏は里の父の友人ですが、寝るときも防災服を脱がれなかったそうです。
人智を凌ぐ自然の猛威が、一日も早く収束することを祈るばかりです。

 ついでに、更に個人的なマイブームで紙面を頂戴いたしますが・・・某校区の人権尊重委員会に属していて、昨年末に研修で島原半島口の津の歴史資料館にいきました。『島原の子守歌』にこめられた“からゆきさん”の検証が目的です。
私は、恥ずかしながらこの歌を50年ほど前(あ、歳がばれる!)町内の盆踊り大会でお人形を背負わされて歌った経験があります。多くの子守歌が作者未詳な中で、この歌は作詞・作曲が明確なことで他とは一線を画しています。
作は『まぼろしの邪馬台国』で有名な宮崎康平氏です。
氏は島原半島随一の土建業宮崎組の次男としてうまれ、早稲田大学を卒業して作家を志すも跡取りの長男さんの病死でやむなく家業を継ぎ、島原鉄道の延伸や郷土史の研究に尽力されました。
ところがマルチな活動のあまり過労で失明され、家業は終戦と共に破綻、おまけに当時の奥さんも出奔(もっともな話ではありますが)、残された乳飲み子を抱いて困り果てていたところに、雲仙温泉の湯本旅館(現在は湯本ホテル)の館主が援助の手を差し伸べます。湯治をかねて宿を無料で提供し、親子の面倒をみられたとか。
この時に乳飲み子をあやしつつ作られたのが『島原の子守歌』で、昭和28年頃のことらしい、ズバリ私が産まれた年です!(あ?更に歳が!)
この歌の内容は、島原に帰郷した当時80歳を越える実際のからゆきさんから聞き取り調査をしたもので、その凄惨な渡航の様子や、島原・天草地方の貧しさが歌い込まれています。興味のある方は私まで。実際の歌付で解説致します。(ん?歌わんでもいい?そうでしょうね・・)

蛇足ですが、氏と夫唱婦随で『まぼろしの邪馬台国』を著した和子さんは氏の後添えです。映画では吉永小百合さんが好演されていましたね。

ちなみに更に蛇足ですが、さだまさしさんの父上は宮崎氏と友人同士で、さださんのデビューには宮崎氏のコネがあったとか。
また『関白宣言』は、この宮崎康平・和子ご夫妻がモデルだそうです。
“からゆきさん”に興味がある方は不知火書房から『からゆきさん物語』が出版されています。
わずか100年あまり前にあっていた、人身売買の悲惨さに息を呑むばかりです。

担当:福岡ファミリー・サポート・センター S
2011.02.04 Fri l ファミリー・サポート・センター l コメント (0) トラックバック (0) l top

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